「二日坊主超えたよ」「次は三日坊主超えだな!」

小学生の頃、作文が苦手だった。

 

強制で、

お題が決まっていて、

そのお題は抽象の極みで、

書く量の下限も決まっていて、

小姑みたいなチェックで重箱の隅をつつかれ、

教育とは名ばかりの教師の趣向を押し付けられる。

 

作文が苦手だった。

 

パラダイムシフトとブレイクスルーは同時にやって来た。

 

中二の2学期。

お決まりのテーマ

「体育祭の感想」

 

“クソどうでもいいもん毎年書かされてウンザリしてるが、頑張って書いてやる。

ただし、感想文書く為に体育祭に参加したわけじゃないし、考えるより身体動かす方に意識向けてたから特に深い感想はない事を前提に書く。”

 

から書き始めて、呼び出し食らった。

 

若い現代文教師は怒るどころかまず一言こう言った。

 

「この2文だけで充分いい感想文になってる。文章が面白いから別のテーマを自分で決めて適当に原稿用紙埋めて出してくれ」

 

そこからは楽しかった。

 

テーマは通学途中で見た光景。

 

車に轢き殺された狸の死体とそれを啄む鴉のいる県道の風景だ。

 

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その残酷で整然とした光景を見る自分の心情を、小学生の頃にニワトリ小屋がヘビに襲われた事件を引き合いに出して、経時思考変化と知識量の差異の両面から観察してみた。

 

小学生の時、ニワトリ小屋にヘビが侵入してヒヨコと雌鶏が丸呑みにされる事件があった。

幼く頭も回らない子供だった私は、冷徹なヘビの行いに激怒し、友達と一緒になってヘビを吊るし上げた。

ヤマカガシだった記憶がある。

毒ヘビにも怯まずに立ち向かえたのは、小学生男子の向こう見ずさのなせる技だったと言える。

 

翻って高校生の自分が見た光景はこうだ。

交通量の多い県道の脇に、ある日一匹の狸の死体が遺された。

だらりと口から垂れた舌と血が、致命的な衝突を受けたのだと一目でわかった。

そんな狸の遺体を、数羽の鴉が見下ろしていた。

会話をする様に銘々に鳴きながら、鴉達は互いの留まる電線を行き来し、やがて遺体の側に1羽が着地した。

始めの啄ばみは、だらりと垂れた舌だった。

狸の頭だけがほんの少し動く程度の、ジャブの様な啄み。突きと言ってもいいかもしれない。

食事ではなく、威嚇や攻撃に近い動作だった。

何度かそれを試した鴉が上の仲間に声を掛ける様に鳴く。

そこからは早かった。

魁となった鴉は大胆にも遺体の舌を咥えて車道から遠ざける様に遺体を引き摺り、別の1羽が遺体の目を叩き出した。

 

血と肉を飛び散らせながら始まった自然の掃除は、見る人によっては狂気的で猟奇的で凄惨な光景に見えただろう。

だが、その時の私はそうは思わなかった。

むしろその光景はどこまでも優しく、どこまで慈悲深い、無駄のない風景に見えた。

 

同時に、在りし日のヘビを吊るし上げた自分を恥じた。

 

小学生の私の振る舞いは、破壊者そのものだった。

一方的に愛着を抱いた動物に情を傾け、正義を知ったつもりになってヘビを恨んだ。

殺めて、棄てた。

誰にも、何にも貢献していない。

狸を轢いたドライバーにも劣る行為を働いた。

 

狸を轢いたドライバーがどんな人物かは知る由もないが、彼は自然淘汰の一端を担い、鴉達に餌を提供した。結果論だが事実だ。

鴉達もまた、環境に貢献している。

彼等が掃除しなければ、集る蝿を媒介に感染症が広まる可能性があった。

 

そう考えると、少なくとも、この現場には感情に任せて殺して棄て置くなどと言う短絡さはなかった。

あるのは「ほんの少しの理不尽」と生きる糧を得る為に必死に戦う掃除屋達だけだ。

 

もし、この場面を小学生の私が見ても、そんな事は考えもしなかっただろう。

無知な私は感情の赴くままに悪を定め、正義を敷き、鉄拳制裁に走ったに違いない。

 

私も少しは賢くなったのだろう。

そう実感できた。

それはきっと、自分の過ちとしっかりと向き合えたからだ。

 

だからどうか“感想文を書かせる”と言う過ちとしっかりと向き合って欲しい。

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的な事を原稿用紙6枚くらいに纏めてその日の内に提出した。

 

若い現代文教師は「こんにゃろう」と苦笑いしながらも、この作文に最高評価をくれた。

 

この人のお陰で、俺はやっと“文章を書かされた記憶の呪い”から解放された。

 

文章を綴る自由は自分で見つけるもんだ。

もしその喜びを知って欲しいなら、強制する事だけはしちゃいけない。

苦痛はストレスと嫌な記憶以外産まないのだから。